979: 名無しさん@おーぷん 20/04/23(木)18:58:20 ID:Cva
私は三人姉妹の末っ子。

女ばかりで父は寂しかったんだと思う。
私は父に
「(私)の中身は男だもんな」
と言われて育った。
「(私)は赤より青が好きだよな?スカートなんか嫌いだよな?野球やりたいよな?
だって(私)の中身は男だもんな」

という風に。

有無を言わさずそう言われ続けて、私は
(そうなのかな?そうかもしれない)
と思いこんで育った。
ベリーショートの髪は
「(私)が望んだ」
ことにされ、一人称は
「“オレ” 以外似合わない」
と言われたからそれを使ってた。

お祭りに行った時、一番上の姉が
「お父さんにナイショね」
と言っておもちゃの指輪を買ってくれた。
ルビーっぽい赤い石がついた、いかにもおもちゃっぽい指輪だったけど、キラキラした物が初めて持てて嬉しくて宝物にしていた。
けどある日、父にばれて捨てられた。
なのに父は
「(私)が女の子っぽいものをいやがって捨てた」
と記憶を改竄し、母や姉にもそう説明した。
私は
(自分で望んで男の子っぽくふるまってるんだ。私は青が好きでスカートが嫌いなんだ)
と思っていた方が楽だったから、そう思いこんだ。




母は父の言うことを信じていて、
『(私)はボーイッシュなパパっ子で、パパに憧れていて野球大好き』
なんだと思っていた。
実際は野球やりたいなんて思ったことなかったし、誕生日やクリスマスのプレゼントが私だけいつもスポーツ用品でガッカリだったけど、そのうち『ガッカリだ』とも思わなくなった。
(あーはいはい)
って感じ。
でもそのそっけない反応がまた男の子っぽく見えたらしく、父は喜んで
「男の子なんてあんなもんだ」
とご機嫌だった。

でも中学になったら当然、制服はスカート。
父は
「(私)の中身は男なんだから何とかなりませんか?」
と学校に問い合わせた。
学校側が
「それは性同一性障害ということですか?」
と返すと、父は
「(私)が障害者だと言うのか!」
と怒った。
恥ずかしかった。
結局、私はスカートで通った。
スカートは慣れてないから嫌で、そう父に言うと父は嬉しそうだった。
部活は剣道部に入った。
「ソフトボールは女のやるもの」
と父が決めつけたし、女子野球部はなかった。

中二のとき生理になった。
母は『あらそう』って感じだったけど、姉は
「お父さんには隠しなよ」
と言ってくれた。
たぶん一番上の姉は、私より正確に事態を把握してた。

私はこの頃から
(私は本当に『男っぽい』んだろうか?『中身は男』なんだろうか?)
って疑問を持つようになった。
たぶん周囲から見たら、ただの “痛い俺女” だったと思う。
この頃から学校でだけ一人称に “私” を使うようにした。
家では “オレ” のままにしておいた。

中三になって受験勉強を理由に部活をやめ、スポーツ全般から遠ざかった。
その頃、家から離れたくてたまらず、寮付きの高校を調べたら地元には高専しかなくて、相当成績がよくないと入れなかった。
でも死にものぐるいで勉強したらメキメキ成績が上がっていった。
『家を出たい』がモチベーションの全てだった。
高専は男女比8:2くらいで、父はなぜか『(私)が工学科に行く』と決めつけて賛成した。
とくに否定せず勉強を続け、情報処理科を受けた。
合格した。

合格祝いをした夜、父は酔って私に
「男ばっかりの寮だから、ヤられないようにしろ。太腿をキュっと閉じておけ」
と言って自分の言葉に爆笑した。
父に女扱いされるのもシモネタ?を言われるのも初めてで、
驚いたし気持ちが悪かった。
その時初めて
(あ、私この人が嫌いだ)
と気づいた。

高専入学後はあまりに実家に帰らず、県外で就職した。
現在はアラサー独身。
今は普通の地味喪女で、特に男っぽいということもない。
彼氏は今いないけど、過去に三人いたからこの歳なら平均だと思う。

でも正直言うと、未だに自分が本当は男っぽいのか女っぽいのか、何色が好きなのか、女より男が恋愛対象なのかそうでないのかわからない。
アイデンティティがない感じがする。
好みがわからないから何でも “無難” を選んでる。

コロナ騒動のせいか久々に実家から連絡があって『GWは来ないで』って内容だったから、なんとなく思い出して文章にしてみた。
GWどころか盆正月もここ十年くらい帰ってないんだけどね。
修羅場ってほどじゃないし毒親と言うにも弱いけど、吐きだしてみたかった。



 私の中の私
私の中の私