979: 名無しさん@おーぷん 20/04/23(木)18:58:20 ID:Cva
私は三人姉妹の末っ子。
女ばかりで父は寂しかったんだと思う。
私は父に
有無を言わさずそう言われ続けて、私は
ベリーショートの髪は
お祭りに行った時、一番上の姉が
なのに父は
私は
母は父の言うことを信じていて、
実際は野球やりたいなんて思ったことなかったし、誕生日やクリスマスのプレゼントが私だけいつもスポーツ用品でガッカリだったけど、そのうち『ガッカリだ』とも思わなくなった。
でもそのそっけない反応がまた男の子っぽく見えたらしく、父は喜んで
でも中学になったら当然、制服はスカート。
父は
学校側が
恥ずかしかった。
結局、私はスカートで通った。
スカートは慣れてないから嫌で、そう父に言うと父は嬉しそうだった。
部活は剣道部に入った。
中二のとき生理になった。
母は『あらそう』って感じだったけど、姉は
私はこの頃から
たぶん周囲から見たら、ただの “痛い俺女” だったと思う。
この頃から学校でだけ一人称に “私” を使うようにした。
家では “オレ” のままにしておいた。
中三になって受験勉強を理由に部活をやめ、スポーツ全般から遠ざかった。
その頃、家から離れたくてたまらず、寮付きの高校を調べたら地元には高専しかなくて、相当成績がよくないと入れなかった。
でも死にものぐるいで勉強したらメキメキ成績が上がっていった。
とくに否定せず勉強を続け、情報処理科を受けた。
合格した。
合格祝いをした夜、父は酔って私に
父に女扱いされるのもシモネタ?を言われるのも初めてで、
高専入学後はあまりに実家に帰らず、県外で就職した。
現在はアラサー独身。
今は普通の地味喪女で、特に男っぽいということもない。
彼氏は今いないけど、過去に三人いたからこの歳なら平均だと思う。
好みがわからないから何でも “無難” を選んでる。
コロナ騒動のせいか久々に実家から連絡があって『GWは来ないで』って内容だったから、なんとなく思い出して文章にしてみた。
女ばかりで父は寂しかったんだと思う。
私は父に
「(私)の中身は男だもんな」
と言われて育った。「(私)は赤より青が好きだよな?スカートなんか嫌いだよな?野球やりたいよな?
だって(私)の中身は男だもんな」
という風に。だって(私)の中身は男だもんな」
有無を言わさずそう言われ続けて、私は
(そうなのかな?そうかもしれない)
と思いこんで育った。ベリーショートの髪は
「(私)が望んだ」
ことにされ、一人称は「“オレ” 以外似合わない」
と言われたからそれを使ってた。お祭りに行った時、一番上の姉が
「お父さんにナイショね」
と言っておもちゃの指輪を買ってくれた。ルビーっぽい赤い石がついた、いかにもおもちゃっぽい指輪だったけど、キラキラした物が初めて持てて嬉しくて宝物にしていた。
けどある日、父にばれて捨てられた。なのに父は
「(私)が女の子っぽいものをいやがって捨てた」
と記憶を改竄し、母や姉にもそう説明した。私は
(自分で望んで男の子っぽくふるまってるんだ。私は青が好きでスカートが嫌いなんだ)
と思っていた方が楽だったから、そう思いこんだ。母は父の言うことを信じていて、
『(私)はボーイッシュなパパっ子で、パパに憧れていて野球大好き』
なんだと思っていた。実際は野球やりたいなんて思ったことなかったし、誕生日やクリスマスのプレゼントが私だけいつもスポーツ用品でガッカリだったけど、そのうち『ガッカリだ』とも思わなくなった。
(あーはいはい)
って感じ。でもそのそっけない反応がまた男の子っぽく見えたらしく、父は喜んで
「男の子なんてあんなもんだ」
とご機嫌だった。でも中学になったら当然、制服はスカート。
父は
「(私)の中身は男なんだから何とかなりませんか?」
と学校に問い合わせた。学校側が
「それは性同一性障害ということですか?」
と返すと、父は「(私)が障害者だと言うのか!」
と怒った。恥ずかしかった。
結局、私はスカートで通った。
スカートは慣れてないから嫌で、そう父に言うと父は嬉しそうだった。
部活は剣道部に入った。
「ソフトボールは女のやるもの」
と父が決めつけたし、女子野球部はなかった。中二のとき生理になった。
母は『あらそう』って感じだったけど、姉は
「お父さんには隠しなよ」
と言ってくれた。たぶん一番上の姉は、私より正確に事態を把握してた。
私はこの頃から
(私は本当に『男っぽい』んだろうか?『中身は男』なんだろうか?)
って疑問を持つようになった。たぶん周囲から見たら、ただの “痛い俺女” だったと思う。
この頃から学校でだけ一人称に “私” を使うようにした。
家では “オレ” のままにしておいた。
中三になって受験勉強を理由に部活をやめ、スポーツ全般から遠ざかった。
その頃、家から離れたくてたまらず、寮付きの高校を調べたら地元には高専しかなくて、相当成績がよくないと入れなかった。
でも死にものぐるいで勉強したらメキメキ成績が上がっていった。
『家を出たい』がモチベーションの全てだった。
高専は男女比8:2くらいで、父はなぜか『(私)が工学科に行く』と決めつけて賛成した。とくに否定せず勉強を続け、情報処理科を受けた。
合格した。
合格祝いをした夜、父は酔って私に
「男ばっかりの寮だから、ヤられないようにしろ。太腿をキュっと閉じておけ」
と言って自分の言葉に爆笑した。父に女扱いされるのもシモネタ?を言われるのも初めてで、
驚いたし気持ちが悪かった。
その時初めて(あ、私この人が嫌いだ)
と気づいた。高専入学後はあまりに実家に帰らず、県外で就職した。
現在はアラサー独身。
今は普通の地味喪女で、特に男っぽいということもない。
彼氏は今いないけど、過去に三人いたからこの歳なら平均だと思う。
でも正直言うと、未だに自分が本当は男っぽいのか女っぽいのか、何色が好きなのか、女より男が恋愛対象なのかそうでないのかわからない。
アイデンティティがない感じがする。好みがわからないから何でも “無難” を選んでる。
コロナ騒動のせいか久々に実家から連絡があって『GWは来ないで』って内容だったから、なんとなく思い出して文章にしてみた。
GWどころか盆正月もここ十年くらい帰ってないんだけどね。
修羅場ってほどじゃないし毒親と言うにも弱いけど、吐きだしてみたかった。 私の中の私
毒父のせいで歪んじゃってるね…
そんなクズ父のところにわざわざ帰省する必要ないから、ここ十年と言わず今後一切帰省なしで良いよ。
母とお姉ちゃん達には別のところで会う機会を設けて、クズ父のいない所で会えば良いんだから。