569: 名無しさん@おーぷん 20/03/29(日)22:10:21 ID:gm.yt.L1
私が子どもの頃、家庭内に
『誕生日に本人が望むものを食べられる』
という習慣があった。
大人が『家で鯛の刺身』とか希望する場合もあったけど、普段は外食しなかったのでレストランを選ぶことが多かった。

7才の誕生日に私は
「不二家レストランに行きたい!」
と言った。
が、何故か車は不二家レストランの前を通り過ぎた。
「どこいくの?どこいくの?」
と両親にきいたけど何も答えない。
着いたのは炭火焼きの和食処だった。
駐車場に車が入るまで
(まさかまさか)
と呆然としていた。
大人になってからなら嬉しい店だが、子どもの私にはまったく望まない店だった。
親としては入学祝いのつもりもあったのだろうが、正直
(自分達が行きたかったんだろう)
と思う。




その後、子どもも成長し、両親も忙しくなり、誕生日セレモニーへのこだわりは薄れていった。
20歳位のとき、親に
「誕生日どこに食べに行きたい?」
ときかれたので
「隣の市のA店に行きたい」
と答えたら、
「そこだと見たい番組までに帰ってこれない」
と却下された。
このリクエストきいておいて却下してくるのが、何とも虚しくて腹立たしかった。
独立してからも、私の誕生日周辺で親から
「外食しよう」
と何度か言われたが、いつも私の意向は聞き入れられなかった。

ある年、両親が
「私子の好きなレストランに行こう!俺はこの日あいてる!」
「私もその日たまたま空いてるのよ!ラッキー!」
とカレンダーに印をつけていたが、二人とも『私子はその日で大丈夫?』とは一言もきかなかった。
そこで
「なんで誕生日の本人のことをそこまで蔑ろにするんだ。
二度と私の誕生日のことでなにかしてくれるな」

と宣言した。

大人になってから誕生日は完全に一人で楽しみ、今日まである生命にそっと感謝する日になっている。
そしてソロ誕生日は最高に楽しい。
恋人に祝ってもらって嬉しかった年もあったけど、やはり相手の事情やどっちかの体調不良とか気遣わなきゃいけなかった。
一人だとすべて私の望みが採用されるし、体調が悪ければ計画変更して自分の身体を労ることができる。

571: 569 20/03/29(日)22:13:09 ID:gm.yt.L1
今年、父が
「お祝いしたい」「こんな時だから外食産業を応援しよう」
「(父の)事務所で食事してもいいし」

と言ってきた。
最初のうちは高齢の父だから孝行と思って…
「都下の過疎地域とかであれば」
と考えた。
けど、きいてるうちに大体が父の希望で。
(あぁまたなんだかんだ付き合わさせるんだな)
とモヤモヤしてきた。

私が
「事務所もそこの街も遠いから行きたくない、大体その頃には首都封鎖かもよ」
と言うと
「まぁまぁ、様子を見よう。
事務所に拘ることないよ」
と。
「そっちが『自分の事務所がいい』と言い出したから断ってるんだよ。
そんなたしなめる言い方するなら止めよう」
と話を終わらせた。

親に感謝があってもそれとこれとは別。
子どもの頃から振り回されて来たからもうお腹いっぱい。
私もこんなご時世だからこそ悔いなく正直に生きたい。
今年は一人で家で好きな映画でも見てケーキ調達できたら食べて幸せに過ごす。



REBIRTHDAY