749: 名無しさん@おーぷん 19/11/09(土)22:57:09 ID:LsE
IT/イットの放送を見て思い出した修羅場。
当時は修羅場だなんて気づきもしなかった。

私が小1の頃、近所に2年生の女の子が母親と二人で暮らしてたんだけど、不登校だった。
そこの家はどんなに晴れた日でもなんか薄暗く、今思えばゴミ屋敷に近かったと思う。
近くに住む2年生の子たちが誰もプリントを届けたがらなくて、私が
「プリントを届けるように」
と言われていた。
まだメールもない時代だから、プリントを届けること自体は不思議じゃないんだけど、学年を超えて届けるのは当時でも珍しかったと思う。

何度かプリントを届けてるうちに、2年生の子が
「家に上がって遊ぼう」
と誘うようになった。
私は親から『人様の家にあがるな』と言われていたので断ると、2年生の子は急に怒り出した。
またさらにその子の母親も鬼の形相で
「うちの子がきらいだから意地悪するのか」
みたいなことを言ってきて、仕方なく家に上がり、2年生の子の遊びにつきあわされるようになった。




部屋の中はボロボロで気味悪かった記憶しかない。
遊びも不快だった記憶しかなく、具体的に何をしたのか今ではもう思い出せないが、
何か変なおまじないをひたすらやらされてた。
多分宗教だと思う。

そんなあるとき、2年生の子が
「友達の誓いをしよう」
と言い始めた。
私がそれは何かを聞く間もなく、
2年生の子の手のひらを、母親がカッターの刃がついたものでサッと切って傷を作った。
血が溢れ出し、ダラダラ流れる手のひらを私に向けて、
「あなたの手にも傷をつけて、手のひらを合わせて血を交換するのよ」
と言われた。

母親に手を無理やりつかまれ、手のひらを切られそうになったとき、
恐怖より先にこれまでの鬱憤が勝り、
「何すんねんボケー!」
と相手に飛びかかり、噛みつき、殴り倒し、蹴っ飛ばして家を飛び出した。
その日着ていたお気に入りのコートにいつの間にか相手の血がべったりだったことも腹が立って、全力疾走で家に帰り、私はカンカンに怒りながら母にすべてをぶちまけた。

それを聞いた母は慌てて私の服を脱がし、風呂場に連れていき、お湯になりきる前のシャワーを頭からぶっ掛けた。
お気に入りの服は母が3重にゴミ袋に入れて、抗議する私を無視して体中傷がないかくまなく確認された。
腰まで伸ばしていた髪も、『血がついてるかもしれないから』とその場で結んでいたところからざっくり切られた。
髪の毛もやはり厳重にゴミ袋に入れられた。
母はゴミ袋を持って車に乗り込むと、行き先も告げずに走り去っていった。

帰ってきたときにはゴミ袋はなくなっていた。
母から
「今から病院に行く」
と言われ、問答無用で腕を捕まれ車に押し込まれた。
この時点で
(なにかとてつもないことが起きたのでは)
と怖くなった。
すぐに母の勤める病院に連れて行かれ、いろいろ話を聞かれて検査もされた。
その後も何度か病院に連れていかれ、血液検査をされた。
結果、特に何もないとわかり、母はボロボロ泣いていた。

病院に連れて行かれた日の翌日から、私は祖父母の家に預けられ、数ヶ月後には引っ越しと転校が決まった。
小1の頃の記憶だからもう曖昧だけど、怒涛の数ヶ月だった。
そういえば、担任と2年生の先生と見知らぬ先生が自宅まで来て、土下座して両親に謝っていたこともあった。
母は塩撒いてたけど。
その後、引越し先まで女の子の母親から何度も電話や手紙で接触があったけど、母親が電話番号拒否してナンバーディスプレイ導入したのと郵便物の転送解除をしたので、すぐに接触は無くなった。


そしてあるとき、『例の女の子が亡くなった』と連絡があった。
母の話では、
「女の子の母親は体を売り歩いてた人で、病気にかかり、母の勤めている病院に通っていた」
んだそうだ。
だけどお金がかかるからとまともに治療せず、そうこうしていると妊娠が発覚し、父親のわからない子を出産。
「子供(女の子)にも病気が感染してた」
んだそうだ。
母が言うには、
「他にも不特定多数の男性に感染させてきたのではないか」
という。

もし私が女の子と血の交換をさせられていたら、私もこんな年齢まで生きられなかったかもしれない。
祖父母を名乗る人から
「お友達にずっと会いたがってた。最後に会いに来てもらいたい」
と言われたらしいが、お友達と思ったこともなかったし、引っ越してから会いたいと思うどころか、思い出すこともなかった。



あかいふうせん