54: 名無しさん@おーぷん 2016/05/29(日)21:19:38 ID:wsO
小学生の時の事。
母と私の同級生の父親が不倫して、母が出て行った。
二つの家庭を壊して再婚した2人は引っ越さず、郷里に帰った不倫相手の奥さんも子供(同級生)を連れて行かなかったから、それから二年間その子とはクラスメイトを続行した。
席替えはあってもクラス替えがない県の話。

当然今まで通り仲良くできるはずもなく。
私は気まずい止まりだったけど、その子からは完全無視されて、次第に嫌がらせされるようになった。
私の前で母を
「おかあさん」
と呼びながらこれ見よがしに甘えたり、かと思えば2人きりの時
「○○ちゃんのおかあさんのせいだ」
って詰られたり。
後は靴隠しとか仲間外れとか一通り小学生がやるような、まあ今から思えば特別なんてことのないかわいげのある態度を取られた。

自分は泣き寝入りするような可愛げのある性格をしてなかったからいちいち反論したし、普段は何の接触もない母と事前に取り決められた二カ月に一度の二人で過ごせる日には、逆に独占した気分になって思いっきり甘えて
「私が一番好き?」
って尋ねては望んでる答えをもらって陰でその子を馬鹿にしたし、向こうの欲しがってるものを知ったら先んじて買ってもらい、文房具とかだったから学校で自慢したりと水面下の攻防を繰り広げるようになった。

こうしてみると私の方が性格悪いね。




55: 名無しさん@おーぷん 2016/05/29(日)21:19:50 ID:wsO
私には離婚しても私の母であることには変わりがないという意識があったし、離婚は母のせいでもあるけど向こうの父親のせいでもあって、その子と私は立場的には変わりはない・一方的にどうこう言われるつもりはないと思ってた。
さらに私は父と二人(祖父母はいた)だけど、その子は元々の父親と私から奪った母とで親が二人もいる。
何処かで
(私の方が可哀想だ)
っていう被害者意識があった。
我慢して封じ込めた鬱屈を、向こうが先に解放して攻撃してきたから、より憎々しく感じたのかもしれない。
なんか当時は取りつかれていたとしか言いようがない。

で結末が取っ組み合いの大げんか。まず女児がするもんじゃない感じ。
きっかけは忘れた。
私の爪はその子の顔をひっかいたし、私にも青あざがいくつもできた。
掴まれて壁に押しやろうと揺さぶられた指の跡がその後幾日も残ったぐらい。

教室で派手にやったもんだから、即刻担任を呼ばれて、かつ担任が問題をなあなあにしない人だったから、今から思えば当然の流れだけども親を交えて話し合うことになり…。
私もその子もこの時は一丸となって

って頼みこんだけどかなわず。

その日は夜まで居残りさせられて、後からやってきた父と母たちと一緒に狭い教室の中に詰め込まれた。
喧嘩よりもよほど大ごとだった。
当然だけど、父は離婚以来母とはできるだけ会わないようにしていた。
教室のドアをその父が開いて、先に来ていた母と目が合った瞬間の息のつまるような沈黙は忘れられない。

父は事情を聴くだけ聞くと、
「もう遅いから」
と淡々と治療費とかのやりとりだけして場をお開きにした。
話し合いよりも待っていた時間の方がはるかに長かったから、逆にやらかした感がすごかった。

56: 名無しさん@おーぷん 2016/05/29(日)21:20:07 ID:wsO
私は父に申し訳なくて仕方なかった。
帰ってからも特に責められなかったんだけど、家族のだれの顔をまともに見れなかった。
会わなくてもいいのに会せてしまったこともそうだけど、話し合いの時に母の愛を取り合っていたことを知られてしまった事が一番恥ずかしかった。
子供心にも何かいけないような事の気がしたし、父に隠していた後ろめたい気持ちもあれば、離婚して同級生の親になった母親に甘えたことが他人の親に甘えたような場違いさというか、人の物を横取りするような罪悪感みたいなものがあって…。

私は“母が自分の母親じゃなくなってしまった”っていうのを薄ら自覚していたんだと思う。
でも認めてしまうと足元が何もなくなってしまうようですごく恐かった。

しばらく学校を休まさせられたんだけど、ある日父は祖父母と一緒に外食に連れて行ってくれて、いろんなものを食べさせられた後、
「お母さんじゃなきゃだめか?
お父さんもいるし、おばあちゃんもおじいちゃんもいる。
みんな○○のこと好きだよ。
お母さんじゃできない事もあるかもしれないけど、お父さんたちが頑張っていくから何も心配することはないぞ」

ってぐしゃぐしゃに頭を撫でられた。
祖母にも祖父にも。

それで何か、なんだろう差し迫ってたものがふっと解放されて本当に本当にほっとした。
振り回されるようにその後いろんな場所に遊びに連れていかれて、気づいたら母親への執着も未練もなくなってた。
結局私は裏切った母のことを恨んでもいたのかもしれない。
それから母と2人で会うことはもう二度となかった

以後、同級生のその子がまたちょっかいかけてくることがあったけど私は反応せず、次第に向こうも何もしなくなって黙殺しあう関係のまま、その後進学を機に私の方が引っ越すことになってそれっきり。

57: 名無しさん@おーぷん 2016/05/29(日)21:21:10 ID:wsO
後味の悪い後日談。

後で知ったんだけど、同級生の言う通り大体母が元凶だった。
成人後に父から聞いたんだけど、あの後子供交えずに話し合いをしたらしくて、その情報によれば
母は浮気したにもかかわらず、私に未練があって地元にとどまっていた。
それが向こうが引っ越さなかった原因らしい。

でも同級生の子にはあんまり愛情が湧かず、人目のあるところじゃないとちゃんと構ってやらなかったそうだ。
ちなみにこの件のずっと後だけど、同級生の父親との間に子供ができるとそっちばかり可愛がったらしい。
私への未練もそれで断ち切られてるようだ。

同級生の父親はもともと子供に積極的に関心向けるような人じゃないらしく、妻に習えで放置(なお話し合いの後も変わらなかったもよう)。
同級生の本当の母親も、離婚の時
「浮気した夫との子供である(同級生)を愛せない」
といって親権を求めず。
喧嘩事件のあとで父親側と押し付け合いのような形になったけど、結局「無理だ」と拒否したらしい。

自分ばかりかわいそがってたけど、本当は自分の方がよっぽど恵まれてたみたい。
記憶の中のあの時の父達のやさしさの分、宛先のない罪悪感みたいなものが膨らんできて苦しい。
(何か言えることがあったんじゃないか)
って今は思う。
恵まれていたと知った人間の傲慢さだって言われれば何も言えないけど。



未練